「ふらっとフットパス80」が令和4年5月24日(火)に楽しく実施されました!
今回のフットパスは、良い天気の中、源頼朝が安房へ逃げて来た時、頼朝に味方した安房の豪族:安西景益(あんざいかげます)の平松城跡に登り、三芳の谷向で生まれた幕末の詩人:鱸松塘(すずきしょうとう)ゆかりの寺などを巡る以下の工程での約3時間のウオーキングに23名の方々のご参加をいただきました。
<ウオーキング工程>
三芳保険福祉センター近くの駐車場(集合場所)出発→高子神社→延命寺→平松城跡→蓮花院→→集合場所駐車場へ
最初に駐車場近くの「高子神社」では昔の3村名(安房郷北条、朝夷郡和田村、平郡勝山村)を記した碑と裏手にある地元の衆院議員中村庸一郎さんをはじめ多くの方々の寄付で建立された「忠霊塔(総理大臣佐藤栄作書)」を見学しました。
次に延命寺側(そば)にある「延命寺断層碑(大正12年の関東大震災で出来た断層)」の説明を受け、道でその断層が見れる場所を見学し、安西景益(あんざいかげます)の平松城跡に登りました。
頼朝は伊豆の石橋山の平家との戦いに敗れ、主従わずか7人で8月28日に伊豆の真鶴岬から房総半島に上陸すると安西景益の屋敷に迎え入れられました。
安西景益は三芳の平松城を本拠地にしていたと言われる鎌倉時代前期の源氏との関りが深い武将で、景益の母は頼朝の乳母で頼朝とは乳兄弟という関係で、後に源範頼を総大将とする平家追討軍に参加しました。
最後に安房国八十八ヶ所霊場の21番札所である「蓮花(れんげ)院」を訪れ、鱸松塘(すずきしょうとう)の説明を聞き、お墓に詣でました。
鱸松塘は三芳の谷向で生まれた幕末の詩人で本名を鈴木元邦といい、天保10年(1839)春(松塘17歳の時)に「当時、詩においては星巌と言われる」梁川星巌の門弟となり、天保14年(1843年)5月、21歳の時に「松塘小稿」を発刊し、その後も数々の詩集を出して詩人としての地位を高めていきました。
安房先賢偉人伝には「鱸松塘は詩を持って生命とする専門的詩人である。~略~ 実に房州の生んだ詩人の中の詩人たるのみならず、我が日本に於ける古今漢詩壇中屈指の大作家であることは既に定評のある所である。」と記されているそうです。
今回もご参加の方々は場所場所の良く纏められた歴史的な資料を基にした説明を聞きながら、ワイワイ、ガヤガヤと楽しくウオーキングされ、ネギとエンドウ豆のお土産を持って帰途に着かれました。
出発前の体操中です。
高子神社で「安房3村名の碑」の説明中!
安房3村名の碑
忠魂碑(総理大臣佐藤栄作書)
「延命寺断層碑」に向かう!
「延命寺断層碑」の説明中!
大正12年の関東大震災で断層が発生しました!
延命寺断層碑
「大正12年の関東大震災で発生した延命寺断層として、今も中央の道を境に左右で段差があるのが分かる」と説明受ける。
平松城跡へ行く途中の説明。
(頼朝が平松城へ向かう途中で敵に襲われた折に、近くの池の中奥に隠れて敵を凌いだ池が近くにあります。)
平松城跡へ向かっています!
平松城跡の説明看板
平松城跡と安西景益の説明中!
蓮花院での「鱸松塘(すずきしょうとう)」の説明中!
鱸松塘の墓
お土産です!