【投稿】とみやま地名探訪 ④ へぐり

今から六十年ほど前に、平久里に映画館があったというと驚く人もいるかもしれません。その頃、平久里は岩井町に引けを取らない人口の多い街だったのです。
歴史を見ると平群には大化の改新の後から都の役人が赴任し、その人達が奈良の平郡氏だったというのが定説です。
実は、日本全国には「へぐり」と名のつく所が何か所もあり、その多くが山中の川の脇の平地という地形でした。当地も川が低地をえぐって盆地状にした同じような土地です。
「へぐり」の文字も多く、平群・倍久利・平郡・平栗・平久里と様々ですが、どれも当て字で平群が一番古いようです。
古代、都から安房国に来るには海路を使っており、館山から平久里川沿いを北上し国府のある市原や市川に向かいました。平久里はその経路の重要な場所だったのです。特に平群天神社は古くから由緒ある神社だといえます。
平群の中には平久里下・平久里中と二つの集落がありますが、「平群」の文字は平群郡という広い範囲を表し、「平久里」と書くと賑やかだった旧平久里村の周辺を指しているようです。「平久里」という文字は、おそらく平群の郡庁の力が弱くなり、私有地である荘園が広がった頃に作られた地名ではないかと推測しています。
岩井の人口が平群よりも増えたのは、江戸時代後半に海沿いの道が作られてからです。
昔から道にはたくさんの歴史があるのです。 
平久里の古い街道は、今では通る人もおらず歴史の記録の中だけにそっと残されています。

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