とみやま地名探訪 ➁ 犬掛!

岩井駅の南にある踏切に「平郡街道」という看板があり、その道を真っ直ぐ五㌔ほど行くとT字路があり、その信号に「犬掛」という表示があります。途中に伏姫籠穴があることから「犬掛」は伏姫が可愛がった愛犬の八房の故郷かと思いましたが、犬掛は「里見八犬伝」が書かれるかなり前からある地名です。
犬のつく地名には、犬由来だけでなく、低いと土地とか狭い土地という意味もあります。実際に犬掛は平群川沿いの河岸段丘の低い場所なのです。でも実際にこの地は、関東一帯を支配する関東管領の犬懸上杉氏の所領であると記録されています。犬懸上杉氏は鎌倉に屋敷があり、富山の犬掛は、領主の名前からつけられたようです。
鎌倉にも犬懸という地名があるので実際どんな場所か訪ねてみました。鶴岡八幡宮の東奥にある狭く低い道沿いに犬懸という地名が今でもありました。上杉氏が関東を支配するようになるには、室町時代の頃です。犬懸の懸には、崖という意味があります。どちらにも崖があるのでもともとは地形由来の地名といってもいいでしょう。
犬掛では、戦国時代の初め頃に里見一族が争った犬掛合戦という大きな戦いがありました。この辺りに「勝負田」という地名があるのはそのためでしょう。
大正の中頃、賑やかだった平群や犬掛よりも鉄道の敷かれた岩井駅に多くの人々が集まるようになりました。そこから列車で千葉方面に行ったという方から話を聞いたのは最近の事です。
※訂正
先々月号で、勝山藩を治めた酒井忠勝とありましたが、家康時代からの家臣団の一つである酒井家の忠勝に訂正いたします。

コメントを残す