ふらっとフットパス84で、山田地区を巡りました!

11月22日(火)、山田地区にある頼朝伝説の楊枝井戸や蛇紋岩が露出している場所を巡りました。集合場所の高照寺下駐車場を出発し、ゴルフ場へと続く坂道を経て嶺岡林道に出ると、蛇紋岩が露出しているところがあります。蛇紋岩は、その名の通り蛇の胴体の斑紋に似た模様の岩で、平安時代には安房の寺などの石造物や嶺岡牧の土手や石仏などに使用されたそうです。林道を東に進むと、源頼朝が長狭に向かう途中、喉が渇いたので水を飲もうとしましたが周りに水がなく、口にしていた楊枝を地に刺したら、そこから水が湧き出したという伝説の楊枝井戸を見学しました。途中、雲海が見える絶景ポイントに巡りあうなど充実した時間を過ごしました。
皆様、最後に美味しそうなミカン🍊のお土産を貰い、「次回も楽しみにしてます!」と帰途につかれました。
<今回のウオーキングルート>:(約8.5km)
集合場所(高照寺下駐車場)→ゴルフ場→楊枝井戸・嶺岡苑→ゴルフ場→嶺岡牧の下→集合場所駐車場へ(12時頃解散)

◆大嶺山高照寺:
口伝では、「長享3年(1489)、山田の川名啓家初代が開基として戒名を授けられ、高照寺殿寛叟(そう)浄心大居士として祀られている」と言われていますが、同家の古文書によると川名籐七郎が永禄年間(1558~1570)に高照寺を建立したとあります。
安房国札観音巡礼の15番札所になっています。これは、大椙山(おおすぎやま)にあった椙福寺(しょうふくじ)の十一面観音菩薩(行基菩薩作)が大正7年(1918)に高照寺に移されたからです。
本尊は地蔵菩薩で、安房国108ヶ所地蔵菩薩の29番札所になっています。

◆蛇紋岩:
南房総市と鴨川市にまたがる嶺岡山系には、地球奥深くのマントルの石が上昇してできる「蛇紋岩」が露出しているところがあります。その一つが、ゴルフクラブへの進入路です。
蛇紋岩は、その名のとおり蛇の胴体の斑紋に似た模様の鉄分を多く含んだ岩石です。嶺岡の蛇紋岩は、平安時代には安房の寺などの石造物に加工されたそうです。また、嶺岡牧の「土手」や「石仏」などにも使用されました。
※蛇紋岩(じゃもんがん):
嶺岡山から産出する石。火成岩で形成されていて、やわらかく水となじみにくい性質をもち、石仏などの石材に適していました。千葉県の他の地域では、このような石はあまりみられません。
※野馬土手に活用された蛇紋岩の石切場:
土手造りに必要な石は、この地で採れる蛇紋岩を砕いて使用されています。これは石を切る割付線が彫られた巨礫(きょれき)や刻印石、石切丁場跡、石引丁場跡が残されていることから推測できます。こうやって程よい大きさに石を砕いて使用していたからこそ、野馬土手がしっかりと現存しているのでしょう。また、蛇紋岩は馬頭観音の石材としても利用されていました。

◆楊枝井戸:
山田地区を通りかかった源頼朝が山神社に戦勝祈願をしたという伝説が残っています。戸倉商店の敷地あたりは、頼朝が兵を駐屯させた「今根田(いまねだ)」といわれる所です。ここには、頼朝が植えたと言われる「栄枯松」があったそうです。L字型に曲がりくねった名木で、村が栄えると青々と繁り、衰えると黄色く萎れたそうです。太平洋戦争中、松ヤニを採取するために伐採されてしまったとのことです。
ゴルフクラブから嶺岡林道を東に2km程行ったところに「楊枝井戸」と呼ばれるところがあります。長狭へ向かう頼朝が、喉が渇いたので水を飲もうとしましたが、あたりに水がなく、口にしていた楊枝を地に刺したら、そこから水が湧きだしたという伝説のところです。

◆嶺岡西一牧:
嶺岡牧は全国に4か所しかない徳川幕府直轄「牧」の一つです。嶺岡牧は,八代将軍徳川吉宗が,「白牛酪」をつくるため,嶺岡牧で酪農を始めた日本酪農発祥の地で,今日の牛乳・乳製品に彩られた食卓の原点となった記念すべき地であり、嶺岡山系とそれに隣接した柱木山に形成された牧です。江戸幕府直轄牧の内,山地につくられた牧は嶺岡牧だけであります。
嶺岡牧の外周は約 70㎞と言われており,一回りするだけで3日かかる広大な遺跡である。
当初は、東ノ牧と西ノ牧に区分されていましたが、徐々に整備拡張され、享保12年(1727)に「東上牧」「東下牧」「西一牧」「西二牧」「柱木牧」の5つの牧に分割されました。
西一牧は、他の牧と違い東京湾岸に注ぐ河川の流域にあり、昔の山田村、荒川村、平久里中村などの村にまたがっていました。牧内には、江戸前期に属する閃緑岩(せんりょくがん)の石切丁場・石引丁場が形成されています。また、牧内の大椙山(おおすぎやま)には大規模な椙福寺(しょうふくじ)があり、祈りの場でありました。
八代将軍徳川吉宗は、享保13年(1728)に白牛を3頭輸入し、嶺岡牧に飼育しました。嶺岡牧では、この白牛の数を増やすとともに搾った牛乳で、「白牛酪」というバターに似た乳製品を薬として作っていました。最初は、将軍家への献上品として差し出されましたが、白牛の数が多くなった寛政8年(1796)頃から日本橋の「玉屋」という店で人々にも売られるようになりました。
嶺岡牧は明治 44年(1911)に閉じられました。

出発前のいつもの体操実施!

大嶺山高照寺から出発

大杉林道の急坂、最初からしんどいな!

ゴルフクラブへ向かって大杉林道の坂道を行く!

ゴルフクラブへ向かう途中で休憩中です!

ゴルフクラブ内の急坂登り中!
ゴルフしている人結構いるね!

ゴルフクラブ駐車場からの絶景見学中、雲海も有り、綺麗!

ゴルフクラブ入り口の蛇紋岩の説明を聞き、見学中!
落ちている石(蛇紋岩)を持つと鉄分を含んでいるので、結構重かった!

ゴルフクラブから大川林道へ!
その先の楊枝井戸に向かう途中!

楊枝井戸案内板、よく見てないと見落としそう!

看板も脇を降りて楊枝井戸へ!
結構、急だな!

真ん中の窪みが楊枝井戸だ!
木の棒で突っつくと水が湧き出てきたぞ!

集合場所へ向かう途中の絶景見学中!、後ろが西一牧近辺ですよと説明を聞く!

急坂だな!、集合場所迄あと少し、頑張ろう!

お土産は、美味しいミカンですよ!

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