10/17(火)ふらっとフットパス93を実施しました!

富山の麓や平久里下・吉沢を歩き、勝蔵寺(かつぞうじ)、護国寺、春日神社などを巡りました。

今回のフットパスは、平久里下や吉沢を歩き、勝蔵寺や護国寺、春日神社などの以下のコースを巡り、その神社に関わる歴史や伝説などについて説明させていただきました。
●コース:(約8Km)
集合場所(旧松尾商店隣りの空き地)→勝蔵寺→座間木材横・真門経由→旧5分団詰所→成願寺→米沢への分かれ道→春日神社→護国寺→集合場所(11時30分頃解散予定)
当日は今回も晴天の中、皆様、途中途中の説明を聞き、熱中症にならないように休憩も取り、元気にワイワイガヤガヤとウオーキングを楽しまれました。
最後のお土産(新鮮な野菜)とプレゼントの柿を手に「次も楽しみにしていますよ!」と帰途に着かれました。
●今回の配布説明資料や説明内容などはウオーキング中の写真の後に記載されていますので、ご一読いただけると嬉しいです。😊

いつもの出発前の体操中!

さあ、出発だ!

平群のお祭り実施の案内板

平群のお祭りの説明中!

勝藏寺の説明中!

勝蔵寺の十王仏の案内板

秋葉権現の供養塔へ向かう途中!

秋葉権現の供養塔

秋葉権現の供養塔の説明中!

吉沢の「タスカケ」ギャラリーの見学中1!(生憎の休店日でした)

吉沢の「タスカケ」ギャラリーの見学中2!

春日神社

春日神社の内部(囲炉裏がある)

護国寺へ向かう途中!(コスモスが綺麗)

護国寺

地蔵菩薩縁起の説明中!

平群の担ぎ屋台(大きいな!)

平群の担ぎ屋台の説明中!

新鮮な野菜のお土産だ!

プレゼントの柿!

お土産お渡し前の渡辺さんのお話し中!

◆フットパス93の配布説明資料:
1.勝蔵寺と十王仏(掛け軸):
虚空山勝蔵寺といい、真言宗智山派のお寺です。開基は、江戸時代の初期で、不動明王が御本尊です。このお寺は、「十王仏」の掛け軸が有名です。掛け軸は原野水の大作で、全部で10幅からなり、現在は南房総市指定の文化財になっています。原野水は、平久里下村で名主を務めた原家の8代目にあたります。文化4年(1807)に平久里下村に生まれ、名は敬と言い、後に野水と号しました。野水がどこで学んだか不明ですが、詩文書画をよくしました。
原野水は江戸の文人墨客との交流が盛んでした。中学校の歴史教科書にも出てくる江戸時代後期の画家・蘭学者で有名な渡辺崋山とも親交があったとも言われます。江戸時代中期の戯作家で「東海道中膝栗毛」を著した十辺舎一九の「房総道中記」の中に、市部から木ノ根峠を越え那古に至る箇所に「那古山」という山水画が出てくるそうですが、「平群の画人原野水筆」とあるそうです。

2.秋葉権現の供養塔:
秋葉権現は、「防火の神様」です。本社は、静岡県周智郡春野町領家というところにある秋葉山の頂上にあり、火之迦具土神(ひのかぐちのかみ:イザナミとイザナギが神生みで生んだ火の神)をお祀りしてあります。この常夜灯型の供養塔の制作年代は、塔の作り方からみて、江戸後期の天明(元年は1781年)の頃だそうです。もともと「大井戸」のところにあったものが、現在地に移されたそうです。
昭和44年頃までは、毎年、苗代の種まきが終わると、農家の人たちが、焼米(やんごめ)や御馳走を持ち寄り、供養塔の前で酒を酌み交わし、火伏せの神様の功徳によって、火事を出さないようにお祈りをしたそうです。

3.春日神社と平群の祭り:

平群の祭りと言えば、「担ぎ屋台」や「平群囃子」が有名ですが、米沢村の春日神社が発祥の地とされています。江戸時代に米沢の村人が伊勢参りに行き、京都で豪華な山車を見て帰り、青竹で形を作り、灯心の灯りで担いで回ったことが「担ぎ屋台」の始まりと言われています。その後、工夫を凝らされ、柱を細くし、屋根を障子紙にし、左右に紋提灯を連ね、現在の形になりました。
平群囃子は、「馬鹿囃子」とも言われますが、名前の由来には二つの説があります。一つは、紀州から移住してきた人により伝えられた「和歌(わか)囃子」が、「馬鹿(ばか)囃子」になったという説で、もう一つは、江戸の神田囃子の一つで、ひょっとこ踊りに使われた馬鹿囃子が伝えられたという説です。

4.護国寺延命地蔵菩薩:
米沢に浄土宗の寺、青龍山護国寺があります。本尊は、延命地蔵菩薩です。寄木造りで、高さ33cmの座像です。制作年月日は記されていませんが、南北朝時代と室町時代に修理彩色がされていること、江戸初期にこの寺が再興されたことなどが記されているそうです。
この延命地蔵菩薩については、この寺に伝わる地蔵菩薩縁起(中興の祖:第7世化生登階上人が宝永8年≪1711≫に書いたもの)から由緒が伺われるそうです。それによると、鎌倉時代の筑前国(福岡県)の人:原田次郎常直の守り本尊だったものが、巡り巡って、この護国寺の本尊になったということです。
<地蔵菩薩縁起の概略>

これは、原田常直の守り本尊“延命地蔵菩薩像”。今から600年前、南北朝時代の作といわれ、貴重なもの。

筑前国の原田次郎常直は、九州きっての弓の名人で、住民の信望が厚かった。隣国筑後(佐賀県)の国主:山名好秀も弓の名人であったが、常直の信望が高まることを妬み、建仁2年(1202)、将軍源頼家に対し常直が反逆していると訴え、常直を攻めた。常直は、生け捕りにされ、謀反人として鎌倉に送られた。この戦いで、常直の守り本尊であった延命地蔵菩薩も多くの宝物と一緒に山名好秀の家来に略奪されてしまった。その年の秋、原田常直の妻は亀寿丸を生み、亀寿丸が13歳の時、病で亡くなった。亀寿丸は母のいいつけどおり、19歳で出家した。出家した亀寿丸は、諸国行脚をしていた北条時頼と出会った。そして、北条時頼の大赦により、原田常直は牢から出され、息子の亀寿丸と再会することが出来た。「お前たち二人は、間違いなく親子である。無実の罪を着せられ、禁獄に身となったが、筑前に帰り、筑前を守護せよ」と申し渡された。原田常直は、自分が念じた守り本尊である「延命地蔵菩薩」を、人をして探させたが、見つからなかった。
その後、護国寺の化主、等英法師が夢のお告げで鎌倉の漁師の家にあることを探し当てた。
その漁師が言うには、「この座像は、原田常直の守り本尊。我が先祖代々伝えしもの。私は、原田家臣の末裔である。私も法師と同じ夢を見た。この尊像をあなたに与えるので、持ち帰って尊祟するよう」にと。
等英法師は、ありがたくいただき、房州米沢村に持ち帰り、霊宝として今に伝えた。

<参考>
・富山町史、ふるさと富山、その他

<タスカケ(+たす、×かける=タスカケ)>

アートを身近に!をコンセプトに、どこかユーモラスだったり、ホッコリするタスカケの作品たち。アンティークや和紙、様々な素材同士、才能あふれる作家の方達とタスカケた作品の数々、こだわりのオリジナル商品たちは、世界にひとつ、タスカケでしか出会えないものばかり!

有限会社スタジオムーン(東京都港区西麻布 主に飲食店のデザイン・施工を行っている)が、吉沢地区に、古材やアンティークなどを掛け合わせて新しいインテリア雑貨を作り出すブランド「タスカケ」を立ち上げました。
南青山にあった工房から南房総へ移転して、3月にオープン。作品を見たり、購入することもできる。また、お茶と一緒にお菓子も楽しむことができるギャラリーです。
<作品・商品>

【そぉーっと祈りを】

〜NOZさんのおうち〜

《小さい事はいい事だ!椅子》A

【タスカケの珈琲】

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