2/28「ふらっとフットパス87」を実施しました!

今回のフットパスは、平群の花立峠を歩き、ターゲットバードゴルフ場を通り、河津桜が咲く伊予ヶ岳北側から四阿(あずまや)まで登り(頂上には行きません)、天神社へ下山しました。
●コース:(約5Km+伊予ヶ岳登山 約60分)
集合場所(平群「天神社」近くの空き地)→花立峠→ターゲットバードゴルフ場→伊予ヶ岳北入口→伊予ヶ岳(河津桜・四阿)→天神社→集合場所(11時45分頃解散)
当日は風が時々強く吹く晴天の中、道中で綺麗な白梅🌺を観ながら花立峠に行き、地名の由来説明を聞き、男根・女陰像、子安地蔵菩薩、風麻呂神社碑にお詣りして、急坂を登りターゲットバードゴルフ場に行きました。
ターゲットバードゴルフ場ではオーナーの方からご厚意のコヒーとお菓子をいただきました。
お蔭様で元気を盛り返し、その後の急坂が続く峰岡林道から伊予ヶ岳の四阿(あずまや)までを元気にワイワイガヤガヤとウオーキングを楽しみながら登りました。
途中の崖を切り出した整備広場の河津桜は殆どが葉桜となっていましたが、元気に咲いている河津桜🌸の木も数本あり、綺麗でした。
四阿(あずまや)の展望台で素敵な展望を観て、平群「天神社」までの急坂を元気に(途中会話がすくなくなりましたが___)、そして安全に下山されました。
最後の新鮮なお野菜のお土産を手に「次も楽しみにしていますよ!」と帰途に着かれました。
●今回の配布説明資料はウオーキング中の写真の後に記載されていますので、ご一読いただけると嬉しいです。😊

出発前のいつもの体操中!

花立峠に向かって出発だ!

花立峠での地名由来等説明中!

花立峠の男根・女陰像、フフフ!

花立峠の風麻呂神社碑

花立峠からの下り坂(白梅が綺麗!)

ターゲットバードゴルフ場へ向かう途中(坂がキツイな!)

ターゲットバードゴルフ場に到着だ!

ターゲットバードゴルフ場のホール風景

ターゲットバードゴルフ場のオーナー様のご厚意でコーヒーとお菓子をいただきました!
美味しくて元気が出ました!

峰岡林道を伊予ヶ岳登山口に向かってる途中、坂道がキツイ!

さあ、峰岡林道の登山口から伊予ヶ岳を登るぞ!

登山道途中の広場の頼朝桜、殆ど葉桜だけど、数本はまだ咲いていて綺麗!

広場を過ぎた急な坂道(ロープが有って良かった!)

四阿(あずまや)まであと少しだ、頑張ろう!

四阿(あずまや)に着いたぞ!、展望が良いね!

さあ、平群天神社へ向かって下山だ!

下り階段、結構急だな!

道幅狭く、端は崖だ、気を付けよう!

天神社まであと少しだぞ!

今回のお土産はネギ、玉ねぎ等新鮮な野菜だ!

【フットパス87の配布資料内容】
1.花立峠:
花立峠の「花」は、もともと「神の座」という意味です。「花」は「華」とも書き、「端(はし)」という意味です。地形語として、台地や山の端をいいます。古来日本人は、このような場所に神や祖霊が天下ると考えていました。
そして、神の降臨する依代(よりしろ)として青木などの常盤木の小枝を折って地面に立てるようになりましたが、この「小枝」を「はな」とよぶようになりました。人々が山越えをする時、山の神やこれから向かう他郷の神への捧げ物として、「はな」を手向け、旅の安全を祈願するようになりましたが、このようなところから「花立峠」の名が起こりました。地域によっては、「花折(はなおれ)峠」とも言うそうです。

2.天明の大飢饉と花立峠の子安地蔵:
天明2年(1782)、東北、関東、四国、九州では悪天候が続き、春から夏にかけては晴天の日が少なく、冷害になりました。
特に、東北地方では、その年の4月下旬から雨風が続き、夏になっても冷風が止まらず、霜が降り、袴や綿入れが必要で、麦は腐り、稲は穂を出さずに立ち枯れてしまったそうです。
この冷害は、次の年も続きました。そして、冷害による生育不良に病虫害が追い打ちをかけ、天明3年の浅間山の大噴火による被害が加わり、大飢饉となりました。これを「天明の大飢饉」といいます。

【浅間山 大噴火を掘る】
※鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)の石段

1979年(昭和5年)に始まる鎌原村(群馬県嬬恋(つまごい)村)の発掘調査では、石段に足をかけようとしたその瞬間に岩屑(がんせつ)なだれに襲われは二人の遺体が収容された。(写真:嬬恋郷土資料館)浅間山(群馬県と長野県の県境)は、天明3年4月頃からしきりの噴煙をあげ、噴火を続けました。
7月にはいると連日のように激しい噴火が続き、7月8日、「浅間の大焼け」と言われる大爆発をおこしました。この大爆発は、関東一円に火山灰を降り積もらせました。
遠くは、ここ房総半島の南端や仙台あたりまで灰が降ったそうです。
花立峠にある地蔵菩薩は、天明の大飢饉で犠牲になった子どもを供養するために建てられたと言われています。

3.伊予ヶ岳:
標高336.6mの伊予ヶ岳は、千葉県内では珍しく岩峰を持つ山です。群馬県の妙義山にちなみ「安房妙義」の異名もあります。
伊予ヶ岳は、古くから神々が降臨した山と考えられ、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、伊予大明神、青龍大権現などの神仏が祀られています。
「房総 山と峠の物語」の著者である内田栄一氏は、伊予ヶ岳の語源を「硫黄ヶ岳」だと説明しています。岩井川の源流が伊予ヶ岳になりますが、その源流部で硫黄が噴出していたからです。
伊予ヶ岳の山頂の岩峰も修験の霊場にふさわしく、多くの修験者たちがここで修行したと考えられ、天狗伝説も伝わります。麓の天神社の別当寺であった神照寺には、修験僧が住んでいたと言われています。
明治5年の「修験道廃止令」により、神照寺は廃寺となりました。現在は、近くの泉龍寺の観音堂などを管理しています。

4.天神社:
平群の天神社は、平群地区全体(現在の区=平久里中、山田、荒川、川上・井野、吉沢《吉井村と米沢村が明治10年に合併》、平久里下、犬掛)の氏神を祀る神社です。文和2年(1353)、細川相模守が京都北野天満宮の北野天神をこの地に勧請(神や仏の霊を移して祀ること)したことに始まります。
天神社では、祭神の菅原道真(845~903)の一代を絵と詞で書いた天神縁起絵巻が作られました。絵巻は3巻本で、製作年代は南北朝か鎌倉時代初期のものと言われています。寸法は、各巻とも縦が33.5cm、横は1巻が14m、2巻が22.3m、3巻が19.2mです。1巻と2巻は、土佐派の絵師の手によるものです。3巻には地元産の紙が使われています。
天神社は明治6年(1873)、平群郷の「総社」に列せられました。

※「富山町史、ふるさと富山、その他」から

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