とみやま地名探訪:川上の駅

奈良時代、安房と奈良の都を結ぶ道を東海道と呼びました。都の役人達が安房に行くには、相模の走水から船で上総湊に渡り、ほぼまっすぐ三芳の本織にあったとされる安房の国府を目指しました。
当時、馬は役人が使うために重要で、馬のことも考えて三〇里(十六キロ)おきに休息するための駅が設けられました。
その駅は、北から天羽駅→川上駅→白浜駅の順だと記録されています。この中の川上駅が現在の川上地区(旧川上村)にあったのは間違いないでしょう。人や馬が休む駅には何よりも水が必要ですので川上駅は名前の通りそれにふさわしい場所だったのです。
川上とは岩井川の上流という意味です。現在の川上の青年館の脇の道を進むと伊予ヶ岳から流れ出た細い岩井川が流れています。さらにイノシシに気をつけ勇気を出して川沿いに行くと大滝と呼ばれる見事な滝が今でも水を落としています。
 この付近は伊予ヶ岳と富山の間にあり、小字地名からも水が豊富なことが分かります。「井戸沢」「小塚沢」「堰口」「吉井」「吉沢」「白井」「沢又」などの地名がそれを表しているからです。
この辺りは水は豊富ですが、残念ながら川上駅の場所はいまだに特定できていません。研究者の方々に伺うと、水車小屋のある吉井の井戸の周辺の低地か近藤牧場付近ではないかということでした。
もしこの付近でかわらけ(薄い素焼きの土器)などがたくさん出てきたら大発見です。恐らくそこが川上の駅ということになるからです。
(徳永忠雄)

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