最近頂いた資料に「元禄大津波」(1703年11月23日)のことが記録されておりその迫力に思わず読み耽ってしまいました。
地震発生は深夜2時ごろで、関東大震災級の地震地震の後大津波が襲ってきました。名主が早く家を出て近くの円照寺(浜下)の山に行くように叫んだものの怖さで松の木にしがみつく者、裸同然で逃げてきた者や方向が分からず海に出てしまった者などで村は大混乱でした。
津波は岩井川南側に押し寄せ、岩井神社が潮に浸かるほどで、近くの牛小屋は流され、逃げ惑って岩井川に落ちる者も出てしまったそうです。大きな津波が3回あり、引き波で家々が壊されたとも記録されています。この資料は高崎浦の網元・永井杢兵衛家の記録で他の地域と比較するためにも貴重なものでした。
後に地震学者が調べたところ震源地は洲崎沖で半島南岸では海底隆起が起こり最大は野島崎の3メートル半だったようです。
そのほか、鎌倉の鶴岡八幡宮も二ノ鳥居まで津波が押し寄せ、九十九里では津波が5キロ先まで到達、白子では1,000人を超える死者が出たことが分かっています。高崎での死者は55名でした。
高崎には「石塚」という小字が残っていますが、これは元禄地震の時に海から打ち寄せられた石を集めてつくられたもので現在の内房線の線路沿いにあると『富山町史』には書かれています。
徳永 忠雄