富山中生徒が、2つの評論文「ガイアの知性」(龍村仁)・「学ぶ力」(内田樹)を読み、投書を学習しました。

「学ばなきゃ」より「学びたい」

Iさん

 中学二年の十一月、国語の授業で思想家である内田樹さんの『学ぶ力』という評論を学習した。その中で、「学力が伸びる」ために必要なことを習得した。内田さんは学力が伸びるために必要なことを三つ挙げている。

 一、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。

 二、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

 三、その「師」を教える気にさせる広々とした開放性。

これらを踏まえて、私の体験談について話したいと思う。

 私は中学一年生の頃、テストの点数が伸び悩んでいた時期があった。点数が下がることもよくあったし、上がってもほんの少しだった。でも、毎日勉強していたし、きちんと塾にも通っていた。それなのに、周りの友達は私の点数より上だった。だから、勉強をする意味が分からなくなって、勉強に関して諦めていた。

 でも、本当の「学力」とはどういうものなのだろうか。「学力」を訓読みすると「まなぶちから」となる。つまり、「学力」とは、結果ではなく過程の中の「意欲」なのだろう。

 私は普段の生活から、「学ばなきゃ」という意識はある。でも、中々成績は伸びなかった。しかし、内田樹さんの『学ぶ力』という評論を読んでから、「意欲さえあればいいのか!」と、すごく自分の中で気持ちが楽になった。だから、今回のテストでは、ものすごく手応えがあった。きっと自信がついたのだろう。このことから、私のように「学ばなきゃ」よりも「学びたい」という意欲が大切なのだろう。


「ガイアの中で生きるには」

Tさん

「このガイア(地球)は人間様の天下だ!!」

 少々誇張したが、内心こう思っている人は私だけではないだろう。自分たちの住む領域を広げ、この地球上の多くを支配している私たち人類は、明らかにこの地球上で高度な知性をもっている生命体だろう。龍村仁氏の『ガイアの知性』によると、我々とは異なる高度な知性を宿した生命体が地球に存在している。それはズバリ、象や鯨である。

 以下、本文に出てくる例の要約である。鯨の仲間のイルカやシャチにはこんな話がある。イルカやシャチは、自分が今どのような状況にいるのかを把握することができる。イルカやシャチのショーなどで、彼らが見せる芸のほとんどは、彼らが自発的に習得したものがほとんどだそうである。囚われの身になり、コミュニケーションをとろうとしてくれる人間や調教師を喜ばせるために芸を見せてくれるのだ。象についてはこんな話がある。象の研究のために、亡くなった象の歯を倉庫に保存していたときに、肉親とみられる象が、何百個の中の歯から、その亡くなった象の歯を見つけ出した。次の日、その歯は亡くなった象のもとにあったという。こういう不思議なこともあるそうである。つまり、私たち人間も、象も、鯨も、高度な知性をもっているということである。

 我々の知性は、共存や本来の地球での生き方をするには少し難しい攻撃的な知性をもっている。だが象や鯨は、地球と運命を共にするような自然らしいありのままの生き方で、受容的な知性をもっている。しかし、創造し、便利さを追い求める我々の知性が間違いだと断定することはできない。皆さんはどんな知性をもっていきたいか考えてもらいたい。


「知性の偏りをなくす大切さ」

Wさん

 僕は、国語の授業で「知性」についての学習をした。学習する前は、人間がすべての知性をもっていて、それ以外の生物は、何の知性なく、生きていると思っていた。だけど、学習を通して人間の知性は偏っており、鯨や象などにも別の知性があることがわかった。『ガイアの知性』では龍村さんは二つの知性を挙げている。具体的に人間は、言葉や文字、機械や交通など、地球を左右できるまでに進歩させてきた。そのため、地球を意のままに支配しようとする「攻撃的な知性」になった。その結果、環境破壊を起こしてしまっている。

 一方、鯨やイルカなどは、自分の状況をはっきり理解し、芸をしている。象は、倉庫で保管していた数百個の象の歯の中から、肉親の歯を見分け、元の場所に戻した。このことから、鯨や象には、自然の営みを理解し、適応する「受容的な知性」をもっていることがわかった。

 だから僕たち人間は片面だけの知性ではなく、両方の知性をもつことで持続可能な社会を創れるのだと思う。


「教えてください。」

Sさん

 学ぶ力とは、どんなものでしょうか。私は国語の授業で、『学ぶ力』という評論を読み、学ぶ力や学力について考えました。

 この話は、日本の子どもたちは、学力が低下しているという話題から、そもそも学力とはどういったことなのか、学ぶ力をつけるにはどうしたらよいのかと話が続いていきます。私はこの文章を読んで、学ぶ力や学力に対しての考えが変わりました。筆者は、学力とは試験やテストの点数などのことではないと考えています。学力=テストなどの数値化されたものと考えていた人は、多いのではないでしょうか。筆者が思う学力がある人は、「私は学びたいのです。先生どうか教えてください。」ということを声に出せる人のことで、逆にこれができない人は、学力がない人といえるそうです。「どうか教えてください。」と人に頼むのは恥ずかしくて嫌だと考える人ほど、学力が低下していくということを知って、私に少し当てはまっているなと思いました。授業や宿題でわからないものがあっても、質問することをためらってしまうことがあったからです。

 このような経験は私だけではないと思います。大人も子供も「私は学びたいのです。先生どうか、教えてください。」というような学ぶことに対しての「意欲」が大切だと思いました。

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