「なんでこの名前なんだろう?」と気になったこと、ありませんか?とみやまの地名をゆるく深掘りしながら、ちょっと昔の話や土地の個性にふれていく連載です。
最近頂いた資料に「元禄大津波」(1703年11月23日)のことが記録さ
富山町史』によれば旧山田村には江戸時代の初期に九十八件の小字がありました
江戸時代の中頃に作られた関東の豪農・豪商ランキングに二百名ほどの名が番付
検儀谷はかつては検儀谷原といいました。明治時代に岩井村ができ検儀谷区とな
館山道の東側、富山学園付近からとみさん富山の南側に広がる一帯が合戸と呼ば
伊予ヶ岳は、御殿山や富山よりもやや低いもののその尖った山容から「房総のマ
富山地区の「高崎」は、小浦の東にある小高い丘である高崎から名付けられたも
その昔、ヤマトタケルが東北の蝦夷(えみし)を攻めようと三浦半島から房総半
南房総には、千倉・三芳など縁起のいい文字で地名を表す所があり、富山もその
今から六十年ほど前に、平久里に映画館があったというと驚く人もいるかもしれ
富山地域づくり協議会
富山地域づくり協議会「ふらっと」は、南房総市の支援のもと、平成23年に設立された市民団体です。
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